昭和49年10月11日付 

席を譲られた話

45年の万博のとき、大阪から芦屋へ帰る電車の中、一五、六の女の子が二人、何やら話し合っている。万博帽子ツバの巻きあがったのをかぶっている。大方朝早くから万博へ行って、帰るところであろう。

その前に立っている私に、突然席を譲ってくれるのである。「どうぞ、おかけ下さい」

これには全く驚いた。そして感動した。これまで一度も席を譲ってもらった経験がなかったからである。それとともにいつもお年寄りや子供づれの女の人に、つとめて席を譲ってきたので、生まれてはじめてといえば、ずい分大げさな表現になるが、やっぱり深い感動であった。

これまで席を譲る側にいたのがこんどは譲られる順番になってきたこと。いよいよお年寄りの部に入る外見に、自分がなってきたらしいことを自分にいってきかせる気持ちと、それに親切に心を配ってくれた娘さんへの感謝の気持ちが一つになって、お礼の頭をさげた。

「イヤ大丈夫ですよ、あんたの方がシンドイやろう?どこまで帰るのですか?年はいくつですか」とたずねた。「明石まで帰る、年は十三」にまたビックリ仰天、驚きだった。十三でこんな心配りができる、ご両親が偲(しの)ばれた。

年寄りのヤセ我慢でなしに、私は実際に若いときから立っている習慣が身についているので、至って平気なのである。

歯科の先生、手術室の先生、百貨店の売り場の娘さんなども立ち通しである。元気な良い若いもんが人を押しのけて席を争っているイジマシサを見ると、哀れになってくる。ちょっとしたことで「立っていてこたえない」くせがつくので、ご披露したい。それは立ち通しの職場に使ってもらって二週間すると、腰に力がつくのか平気になる。若い間にこんな訓練もしておくと便利である。

さて、万博のときに比べて私も年寄りらしくなった。眉(まゆ)毛がずっと長かったのがこのごろは、眉毛じりが抜けてきて短くなった。この話を近くの理髪店のおやじにすると「ヘエー皆だれでも年よってくると眉毛じりが抜けて眉毛が短くなりますナァ、それと反対に鼻毛が早く伸びよりますネン、どんな関係になっとるのか、おかしなものですナァ」と言う。

鼻毛が長く出ているのは間が抜けて見えるもので、今さら「鼻毛を読まれる心配」はないがそれ以来注意をしている。

このごろの娘さんは何か間が抜けて見える。どれも同じ仕入れの顔につくっているのに気がついた。だいいち眉毛がないのである。よくよく見ると親伝来の眉毛をとって同じ細さで描いているのである。何かたよりない、しまらぬ顔ばかりが街にウロウロすると思ったらこんなことであった。その描いた眉の形が、またどれもいっしょときているし、「美しい目と眉のつり合った個性美」を自分でわざわざつぶしているのがナントモ惜しい。

眉をそって描いていたら、また生えてくるはず、どうするのか聞いたら、「一本一本抜いている」と言う。サテモご苦労さまなことである。

このごろは眉毛ばかり気になって、眉毛のある娘さんを見るとうれしくなるのである。

(写真家・ハナヤ勘兵衛)